悟りの十段階『十牛図』

禅の「十牛図(じゅうぎゅうず)」は、禅の修行過程を視覚的に示した10枚の絵とその詩によって表現される寓話的な作品であり、悟りの道筋を牛を探し、捕まえ、乗りこなし、最終的に放下(ほうげ)するという過程に喩えています。この十牛図は、北宋時代の中国の禅僧・廓庵師遠(かくあんしおん)が作成したとされ、後に日本の禅宗でも広く受け入れられました。

1. 尋牛(じんぎゅう) – 牛を探す

この絵は、迷いや煩悩に満ちた人間が「真の自己」や「悟り」を探し求める過程を表しています。牛は人の心、または本来の仏性を象徴しており、探す旅は内的探求の始まりです。迷いの中にあって何が真実かを見極めるために、修行者は外の世界に惑わされながらも、心の中に真実を見つけようと模索します。

2. 見跡(けんせき) – 足跡を見る

修行者は牛の足跡(真実の断片)を見つけ始めます。これにより、悟りや真理の手がかりが現れ、内的な変化が始まることを示しています。修行の過程で徐々に仏性や真実を感じ取れるようになり、修行の道に希望を見出します。

3. 見牛(けんぎゅう) – 牛を見る

牛の姿が明確に見え始めます。これは悟りや仏性を直接に感じ取り、その存在を認識し始める段階です。しかし、まだ完全には制御できず、迷いの残る状態です。真実は見えても、まだしっかりと把握できていないという状況を示しています。

4. 得牛(とくぎゅう) – 牛を捉える

牛(心)を捉えることができた状態です。これは自分の内なる仏性や真実をしっかりと認識し、迷いからの解放に向かっていることを意味します。しかし、牛はまだ自由を求めて暴れ、完全には制御されていないため、修行者はさらに努力して心を制御する必要があります。

5. 牧牛(ぼくぎゅう) – 牛を飼いならす

修行者は牛を飼いならし、心の統制を得ることができる段階に入ります。ここでは、修行者が自分の欲望や煩悩に振り回されることなく、心の平穏を維持できるようになり、修行が深まります。牛は次第に従順になり、悟りへの道がより明確になります。

6. 騎牛帰家(きぎゅうきけ) – 牛に乗って家に帰る

牛に乗って、修行者は故郷へと帰ります。これは、悟りを得たことで心が安定し、日常生活に戻っても悟りの心を保ち続けることができる段階です。牛(心)と共にある安心感が描かれており、修行者はもはや迷いに惑わされることがなくなります。

7. 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん) – 牛を忘れて人が残る

牛(心)をもはや意識する必要がなくなり、修行者は完全な自己の統一を達成します。心のコントロールが完璧になり、煩悩からの解放が完全に成し遂げられます。ここでの重要なポイントは、牛を探すこと自体が過程であり、結果ではないということです。

8. 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう) – 人も牛も忘れる

牛(心)も人(修行者)も忘れ去り、悟りの境地に至ります。ここでは、主観的な「自分」という存在や対象物としての「牛」さえも消え去り、真の無我の境地に到達したことを意味します。すべての二元性が消え、完全な一体感が得られます。

9. 返本還源(へんぽんかんげん) – 本源に帰る

全てを超えた状態で、修行者は根源的な真理へと帰り着きます。無我の悟りを得た者は、宇宙の根源的な一体感に融合し、日常の世界の中にあっても一切に囚われることがなくなります。この状態では、外界のあらゆる物事がありのままに見えます。

10. 入鄽垂手(にってんすいしゅ) – 世に入って手を垂れる

最後の段階では、修行者は悟りを得た後、再び日常の世界に戻り、俗世においても自由自在に生きることができるようになります。この状態では、悟りの境地を他者に示すことなく、ただ静かに人々と共に生き、自然体であり続けます。この境地では、悟りを得たことすらも意識せず、他者の苦しみを共感し、助けることができます。

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